【テューダー朝の家系図】権力闘争がひしめいた時代、イラストと肖像画で学ぶ世界史

イギリスの歴史

中世イングランドに存在したテューダー朝。好色で暴君と呼ばれた国王『ヘンリー8世』による宗教改革 (イングランド国教会の設立) などで知られていますね。

メアリー1世をはじめとした「女性君主」が誕生し、またエリザベス1世の尽力により大英帝国繁栄の礎を築かれた時代でもあります。この記事では、この「テューダー朝」を肖像画や家系図とあわせてわかりやすくご紹介します。

キッカケとなった薔薇戦争

テューダー朝のはじまりは、いわば『薔薇戦争』の終焉でもありました。

といっても、それがそもそも何かがわかりにくいんですよね。薔薇戦争」は、イングランド中世封建諸侯による内乱といわれていますが、簡単にいうと、「ランカスター家とヨーク家による、王座をかけた30年に及ぶ権力闘争」です。

両家は、ともにエドワード3世の血を引く家柄でした。

ランカスター家が赤薔薇、ヨーク家が白薔薇を紋章としていたため『薔薇戦争』と呼ばれたのです。響きはなんだか素敵ですが、いってしまえば玉座をめぐった泥臭い権力争いです。

テューダー朝の誕生

さて、こちらの薔薇戦争ですが、最終的には、ランカスター家の女系の血筋を引くヘンリが武力でヨーク家を制圧するに至りました。そしてそのヘンリーが、ヨーク家のエリザベス王女を娶ってひらいたのが「テューダー朝」です。

対立していた両家がひとつになり、テューダー朝をひらくことで、「薔薇戦争」はようやく終焉を迎えることになったのでした。この2人の結婚により、長年王座を争っていた両家は「テューダー朝」として統一されることとなったのです。

テューダー王朝の特徴

テューダー朝は百年戦争、薔薇戦争で疲れはてた諸侯を抑圧して、絶対王政を推進し、また海外進出にも積極的でありました。

こちらがテューダー朝の時代にあった主な出来事ですね。

  • ローマ カトリック教会との断絶 (ヘンリー8世の宗教改革)
  • プロテスタントとカトリックの対立 (ブラッディメアリによる過激な制圧)
  • スペイン艦隊の攻撃、女王が国土を守り抜く (動じない女王エリザベス)

テューダー朝といえばヘンリー8世?

ヘンリー7世と妃エリザベスの子供こそが、「ヘンリー8世」ですね。好色で名を馳せたヘンリー8世ですが、同時代に生きた人からは、

絶頂期においては魅力的で教養があり老練な王だった

王位についた人物の中でも、最もカリスマ性がある統治者だった

とみられていたようです。

それらは彼が残した3人の子供達にも受け継がれ、最後の女王となったエリザベス1世はイングランドに安寧をもたらしテューダー朝の全盛期を築きました。

ローマカトリック教会との断絶

テューダー朝の時代を代表的する政策としては、ヘンリー8世の『宗教政策』があります。

簡単にいうと、ヘンリー8世が正式な世継ぎとなる男児をもうけるため、男児が産めない最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンと離婚をくわだてたのですが、キャサリンは敬虔なカトリックだったことにくわえ、ローマ教皇は離婚に大反対

それでも離婚を推し進めたかったヘンリー8世ローマカトリック教会の支配から逃れるためにローマと断絶し、自らが長をつとめるイギリス国教会をつくったのでした。

(テューダー朝 宗教改革前後の家系図)

プロテスタントとカトリックの対立

テューダー朝は、イングランドに宗教的な混乱をもたらした時代でもありました。

ヘンリー8世の跡を継いだエドワード6世はプロテスタントを推進しましたが、その次のメアリー1世は『イングランドのカトリック復古』を目指してプロテスタントを容赦なく弾圧….. という具合に国民は君主に振り回されることとなったのです。

ブラッディメアリーと呼ばれた、メアリー1世の時代には300人以上が犠牲となり、宗教的なゴタゴタが多くあった時代でもありました。

またメアリー1世は、晩年にスペインハプスブルク家のフェリペ2世と結婚しています。弾圧は『カトリックの守護者』を自称する、フェリペの意を組んだものだともいわれています。これは国からよく思われておらず、のちにスペインが攻めてくる火種を作ったのでした。

スペインに攻め込まれて

メアリー亡き後イングランド女王となったのは、エリザベス1世ですね。

彼女はカトリックとプロテスタント間の対立した国内で中立を保ちました。彼女の治世により、半世紀の平穏がもたらされたイングランドでしたが、当時黄金期を迎えていたスペインがイングランドに攻め込んでくる、といった自体にも遭遇することになったのです。

これが世にいう『アルマダ (無敵艦隊) の海戦』ですね。

しかし無敵といわれたスペイン艦隊でしたが、深夜にイングランド艦隊からの攻撃を受け痛手を追い撤退することになります。エリザベスは、小国といえど、無敵といわれたスペインから国土を守ったのでした。

テューダー朝のその後

エリザベスは生涯独身を貫き、子供もおりませんでした。(尚、結婚はせずとも愛人は多数いたといわれていますが) そのためテューダー朝は、118年で終焉することとなります。

エリザベスの死によりヘンリー8世の血筋は途絶えることになりましたので、最有力候補とされていた (テューダー朝の始祖) ヘンリー7世の血を引くスコットランド王ジェームズ6世が『イングランド王位』を兼任することとなりました。

こちらの家系図の一番下にいる男性ですね。スコットランド国王としては「ジェームズ6世」、イングランド国王としての即位名が「ジェームズ1世」です。

そして彼がステュアート朝を開いたことで、テューダー朝は118年の幕を閉じることとなりました。この時代ひとりが、いくつもの国の「王」を併任することが多く、その国々によって名前が違うのがややこしいところかもしれません。

まとめ

薔薇戦争の終焉から始まり、宗教改革や、スペインとの対戦によりゴタゴタで溢れたテューダー朝。しかし、国王の居城となった宮殿 ハンプトン・コートの歓楽街には、音楽家であふれていたといいます。

ヘンリー自身も才能のある作曲家であり、楽器を演奏したり歌うことができることは、宮廷人にとって非常に望ましい属性であると考えられていたのです。(しかしそんな豪華絢爛な生活の裏で支出がかさみ、ヘンリー8世が亡くなるころは借金地獄だったともいわれていますが….)

様々な陰謀が渦巻いたこの時代、調べ出すと興味がつきません。一人一人の君主に、生々しく人間らしい物語や逸話がたくさん残されているのです。そしてなにより興味深いのは、ヘンリー8世に翻弄された女性たちの物語。興味のある方は (【処刑された王妃 アンブーリン】とヘンリー8世の秘された物語)のぞいてみてはいかがでしょうか。

この記事を書いた人

世界史好きの英日翻訳者。

愛読書はスペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」。読み漁った文献は国内外のものをあわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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