ハンプトンコート宮殿の裏話【ヘンリー八世が暮らした中世の居城】

イギリスの歴史

誰もが一度は名前を聞いたことがあるだろうハンプトン・コート宮殿。英国ロンドン中央部から見てテムズ川の上流に位置するこの宮殿は、中世に存在したテューダー王朝の本拠地でもありました。宮殿は現在主要な観光名所として、現在は一般公開されています。この記事では、ヘンリー8世が暮らしたこの荘厳なる宮殿の裏話をご紹介します。

廷臣の城を横取り?

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ハンプトン宮殿は、元々は侍従トマスが、自分のために建てたお城でありました。

トマス・ウルジーは、王の主任公使でありました。そのトマスが1514年に受け継ぎ、7年間にかけて大規模な再建を行い、現在の宮殿の基礎を作り上げたのです。ハンプトン・コートは、英国一と言われるほど素晴らしい宮殿となったのですが、ヘンリー8世が嫉妬したため、結果的にトマスは王へ『宮殿を進呈』することとなったのでした。

ヘンリー8世の居城へ

ヘンリー8世はこの宮殿を大変気に入り、居城として結果的に6人の妃もこの宮殿に暮らすこととなります。美しい庭園と、メイズやグレートヴァインのような有名な特徴に囲まれている宮殿は、多くの国家的に重要なイベントの舞台となってきました。

映画ブーリン家の姉妹では、英国中世の優雅な宮廷生活を覗き見ることができます。1530年代には、ヘンリー8世のハンプトン・コートは宮殿、ホテル、劇場、広大なレジャー施設となっていましたイングランド王は、豪華な晩餐会、豪華な宮廷生活、そして信じられないほど高価な芸術を通して、あらゆる方法で雄大さと権力を誇示するために利用されることになりました。

豪華な晩餐会と宮廷生活

宮殿には、ヘンリーが寝て食事をしてくつろいだ国営アパートと私設アパート、女王の私設アパートのほかに、廷臣たちの宿泊施設がありましたその様式は居住者の身分に沿ったものでしたが、権威を印象づけることを意図していたようです。

ヘンリー8世には最高800人の廷臣がおりました王は1400年代後半に元居住者が造ったキッチンを拡張して、1日に1,600食を提供できる調理場に作り変えたのでした。

また花嫁のために運河も作られていました。この美しい運河はチャールズ2世によって、花嫁のキャサリン・オブ・ブラガンザの到着に備えてつくられたものです。カップルは宮殿で新婚旅行をし、白鳥の形をしたボートがロマンチックなジェスチャーで運河を上ったという、贅沢ながら微笑ましいエピソードも残っています。

 

この記事を書いた人

世界史好きの英日翻訳者。

愛読書はスペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」。読み漁った文献は国内外のものをあわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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