【ヘンリー八世の最後の妻、キャサリンパー】賢く生きた王妃様

イギリスの歴史

離婚王として知られるイギリスのヘンリー8世が最後に妻として娶ったのは、キャサリンパーでした。彼女はヘンリー8世の6人の妻の中で最も賢く、最も情熱的だったと言われています。

「庶子」の身分におとされていたメアリーや、エリザベスを宮廷へ呼び戻し、宮廷人としての教育をほどこし、王位継承権を復活させたのもキャサリンの後ろ盾があってのことでした。そんな優しく聡明であった王妃、キャサリンパーの人生をみていきましょう

国王との出会い

31歳で未亡人であったキャサリンは、宮廷に出入りしていたところヘンリー8世に見初めらることになります。彼女はトマス・シーモア (ヘンリー8世の3番目の妃ジェーンの兄) に恋をしていたのですが、ヘンリーは邪魔なトマスを公務で海外に送り、キャサリンに求婚をしました。

過去に2人の妻との婚姻を無効とし、2人の妻を処刑したヘンリーの求婚にキャサリンは戸惑ったといいます。しかしキャサリンは、1543年7月12日にハンプトン・コート宮殿でヘンリー8世と結婚しました。

聡明で賢く洗練された王妃

キャサリンはとても聡明な人物でありました。陽気で魅力的なだけでなく、学者でもあったそうで、芸術の熱心な後援者であるキャサリンは、自分の本を書いて出版した最初の英国のクイーンでした。

ヘンリー8世は少年時代からエラスムス (ネーデルラント出身の人文主義者、カトリック司祭、神学者、哲学者) と文通するほどの教養の持ち主でしたが、そんなヘンリーと対等に学術談義ができるだけの知性をキャサリンは持っており、特に神学についての造詣が深かったといいます。

キャサリンの功績

キャサリンパーの大きな功績のひとつは、メアリーとエリザベスの「王位継承権の復活」です

王妃となったキャサリンは、当時庶子の身分に落とされていたふたりの王女をすぐに宮廷に呼び戻しました。そして王位継承権保持者の地位に戻すことを王に嘆願し、1543年の第3王位継承法制定につなげたのです。

そしてまだ幼いエドワード (後のエドワード6世) とエリザベスの養育を任されたのもキャサリンでした。彼女は、彼らへの教育環境を整えたほか、音楽などの芸術についての関心も導き出し、王の子女たちも優しい継母を敬愛していました。

義理の娘たちとの関係

キャサリンとは3歳しか年が違わなかったメアリーは、以前からキャサリンとは親しくありました。継母となったキャサリンとはカトリックとプロテスタントという宗派の違いを越えた深い信頼で結ばれていたといいます。

まだ幼少のエリザベス (後のエリザベス1世) は、初めての母親らしい存在となったキャサリンに特に懐いたようで、彼女を「大好きなお母様」と呼んだ手紙が残っています。子女たちが王族としての深い教養を身に着けられたのも、聡明な王妃が勉学環境に心を砕いた賜物だったのです。

情熱的すぎるが故の嫌疑

宗教改革によりカトリック教会とイングランド国教会の対立が止まなかったこの時代、キャサリンの身にも危険が及んだことが1度だけあります。キャサリンの知性は、彼女が当時の女性としてはまれに見る読書家だったことに起因するもので、イングランド王妃として初めて著書を発行したわけですが、しかしそれが仇となるのでした。

キャサリンが神学への興味からマルティン・ルターによる福音主義の教義を勉強していたことから、カトリック司祭らの怒りを買い、キャサリンが異端者であるという報告がヘンリーにもたらされたのです。最終的には「貴族の女性が聖書を読む際は一人で読むこと。また聖書について討論してはならない」という法律が制定され、異端への追求は激しさを増すことになったのでした。

ヘンリー8世の死後

キャサリンは、ヘンリーが亡くなるまでの5年間、結婚生活の間はずっと忠誠心を保ち、献身し続けました。1547年1月28日、ヘンリー8世は55歳で亡くなりましたが、死の直前にこんな遺言を残していました。

私の死後、キャサリンは王太后としてではなく以後も引き続き王妃としての格式をもって接遇されること、また破格の年7000ポンドの歳費を生涯にわたって国庫から支給されること。

しかしキャサリンは、2月末にエドワード6世の戴冠式を見届けると早々に宮廷を出ていくことになります。5月には周囲の動揺と反対を押し切って、かつての恋人・海軍司令長官トマス・シーモアとさっさと再婚を果たしたのでした。

トマスの兄・サマセット公エドワード・シーモアがエドワード6世の護国卿となって宮廷に残り、エリザベスはキャサリンとトマスの元に引き取られました。エリザベス1世が戴冠するのは、それから13年後、1559年1月15日のことでした。

まとめ

ヘンリー8世最後の王妃となったキャサリンパー、王の子女たちの教育だけではなく、キャサリンは晩年病気を患っていたヘンリー8世の看護にも貢献していたそうです。

キャサリンの良識、道徳的誠実さ、思いやり、確固たる宗教的コミットメント、忠誠心と献身の強い感覚は、歴史家の間で多くの賞賛を得ています。欲しいものは手に入れないと気が済まなかったヘンリー8世、結果的に1人の王と、2人の王女を世に送り出したキャサリンパーを選んだのは、最初で最後の英断だったのかもしれません。

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この記事を書いた人

世界史好きの英日翻訳者。

愛読書はスペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」。読み漁った文献は国内外のものをあわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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