宮廷生活に嫌気を覚え、数ヶ月単位で旅に出ていたといわれる皇后エリザベート。1881年の夏、フランツ・ヨーゼフは、愛する彼女が少しでも近くにいることができるよう1881年ウィーンに皇后用の別荘を購入しました。この記事では、皇帝からのプレゼント、エリザベートが『ティターニアの魅惑の宮殿』と呼んだヘルメスヴィラをみていきたいとおもいます。
エリザベートのための別荘
ウィーンは森の都とも呼ばれ緑が多いといわれる場所ですが、そのなかにあるラインツ動物公園のなかにはひそかに別荘がたたずんでいます。
これこそヘルメスヴィラ、皇帝から皇后エリザベートへのおくられたこだわりの宮殿です。エリザベートの寝室には、著名な画家ハンス・マカルトにより、皇后お気に入りのシェイクスピアの戯曲『真夏の夜の夢』をもとにしたフレスコ画が描かれました。
中央にはネオバロック様式のベットがおかれましたが、エリザベートがこの別荘をおとずれるときは、星空を眺めるために窓際の床のマットレスで夜を過ごすことを好んだそうです。
衛生面も革新的
ヘルメルヴィラは衛生設備においても、かなり革新的な建物でした。浴室には水道がひかれ、壁から水が流れるのを見てエリザベートは感動し、「女性の浴室介助者」が失業するのではないかと心配したほどでした。「皇后は蛇口から魔法のように水が出てくるのに感動して、何度も蛇口をひねっては楽しんでいた」という逸話ものこっています。
エリザベートは自身の詩のなかで、この別荘を『ティターニアの宮殿』と表現していました。拒食症でもあり、過度に『美』にこだわっていたエリザベート、専用の部屋で毎日トレーニングをして、そのため部屋にはバランスビーム、懸垂用のチェンアップバーなどが備わっていたといいます。毎年初夏になるとここを訪れ数日から長くて数ヶ月滞在し、彼女が亡くなる1898年6月まで続いたそうです。
現在は観光名所
エリザベートの別荘は最初『ヴィラ森の静けさ』と呼ばれていましたが、”Hermes der Wächter” と呼ばれる彫刻が庭におかれ、1885年には『ヴィラヘルメス Ville Hermes』と改名されました。帝国崩壊まではハプスブルク家の所有となっていましたが、現在はウィーン市の管轄におかれ、博物館として一般公開されています。
扉やガラスは当時のままで、実際におかれていた調度品をみることができ、建物の歴史的背景や、エリザベートについてを知ることができます。ウィーンの森はハプスブルク家以前のバーベンブルク時代には狩猟地域としてつかわれており、皇帝フェルディナント1世が入手しました。
マリア・テレジア時代には動物に荒らされることもあったそうで、息子のヨーゼフ2世が柵を築いたそうです。皇帝カール6世の時代には『優雅な野生公園』として知られるようになり、ハプスブルク家には大変ゆかりのある土地となっています。
まとめ
エリザベートは宮廷に馴染めず、また継母ゾフィとも反りがあわず、精神を病んでいきウィーンを離れて各地を旅して過ごしました。晩年ハンガリーとの関係において大きく貢献して、生き甲斐を見出した彼女でしたが、息子ルドルフの自殺によりうつ病が悪化。
それが晩年には自殺願望にかわっていったといいます。
1989年9月9日、エリザベートはジュネーヴ湖畔のレマン湖のほとりで、イタリア系労働者の無政府主義者ルイジ・ルケーニに、鋭く研ぎ澄まされた短剣のようなヤスリで心臓を刺されて殺害されてしまいます。享年60歳、あわない生活で患った精神病とたたかい、時に外へと逃げながらも天寿を全うした女性でありました。ウィーンの森の緑にかこまれひっそりと佇む、ヴィラ・ヘルメス。『真夏の夜の夢』を彷彿とさせ、彼女が『ティターニアの魅惑の宮殿』と呼んだ場所。エリザベートファンなら、ぜひ一度は訪れてみたいものです。
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