【奇跡の水が湧くルルドの泉】万病も治す、遺体すら腐敗させない不思議な泉

フランスの歴史

ルルドの泉は、キリスト教で最大の巡礼血のひとつ。たった人口1万5,000人の小さな町に、世界130カ国以上の国から年間600万人もの人々が訪れるいわば一大聖地です。

この地に湧き出る清らかな水に浸かると病気が治るといわれ、車椅子にのった人々やベッドに寝たきりの状態で家族に連れられてくる巡礼者なども後を立ちませんこの記事では、そんな不思議な「ルルドの泉」の原点をご紹介します。

少女の発見

「奇跡の泉」があるのは、フランス西部のピレネー山脈のふもとにある田舎町ルルドのはずれです。泉を発見したのは、ベルナデッタ・スピルーという当時14歳の少女でした

村で一番貧しい人々が暮らす牢獄跡の小部屋に住み、少女は毎日家の手伝いをして暮らしていました。彼女は貧しさから学校にも通えないため、フランス語もわからず読み書きもできず、ピレネー地方の言葉だけを話す子供でありました。

それはいつものように、妹や友達と薪拾いに村のはずれまで行った1858年の2月11日のこと。ゴミの廃棄場所となり、暗くじめじめとしている人のいない場所、ここのゴツゴツした岩碧の下に獣のように大きな口を開けているマサビエルの洞窟があります。

幽霊が出るといわれていたのでいつもは近づかなかった少女ですが、先に行ってしまった姉たちに追いつこうとしていたとき、風も吹いていないのに風邪の音が聞こえてきました。そして、周りを見渡しても何の気配もなかったのに、ふと上を見上げると洞窟の上に咲いている野薔薇が揺れ動くのがみえたのです。

少女の前に現れた美しい婦人

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そして光が差し込むと同時に、真っ白な服に純白のベールを羽織り、両手に黄色い薔薇を携えた美しい婦人が手を広げ、ベルナデッタに静かに微笑みかけてきたというのです。ベルナデッタは戸惑い、いつも持っているロザリオをポケットから出そうとしました。しかし、手が震えてうまく動くことができませんでした。そして、その美しい婦人も、ロザリオを持っていたのです。

それからベルナベッタは何度もこの美しい婦人へ会いにいくようになりました母親が止めてもおかしいと村人からいわれても、彼女は約束の場所へと通い、婦人はベルナベッタのもとに18回も現れたといいます。しかし何度聞いても名前は教えてもらえず、ベルナデッタは夫人を、

アケロー (あれという意味)

と呼んでいました

 

泉の誕生

アケローが、「15日間毎日ここにきてくださいませんか」というのでいく

少女はこうとしか言わなかったといいますが、ベルナデッタが会いに行っているのは聖母マリアに違いないと噂になり、9日目にはベルナデッタのあとに400人もの群衆がついてく自体となりました。しかし、その姿を見ることができたものはいませんでした。

ある日いつものように祈りを捧げると、ベルナデッタはいきなり洞窟の隅に這いつくばり、土を手で掘り始めました。そして溢れ出た泥水を吸うように飲み、洞窟に生えている草を食べ出したというのです。泥だらけで這いつくばっている少女の姿に群衆は驚きましたが、この夜にある奇跡がおきました。ベルナデッタが掘った場所は、清らかな水が湧き出る泉となったのです。そして、その水を長年の病に苦しんでいた女性が飲んだところ、すぐに治ったというのです。

遺体も腐敗させない”キセキの水”

最後の日に、婦人はやっと、

ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・クンセプシウ

と名乗りました。ベルナデッタには理解はできませんでした。しかし彼女が神父に伝えるとそれはラテン語で「無原罪の宿り」、つまりそれが聖母マリアの別名であったことがわかったのです。このことから、この泉はマリア出現の聖地として崇められるようになりました。

 

1866年には聖母マリアが言い遺した指示にしたがって、地下聖堂が建立され、1876年には洞窟の上にもゴシック式の大聖堂が建てられました。建立式に出席したベルナデッタは、その後、修道院で暮らしますが35歳で亡くなってしまいます。サンジルダール修道院には今もベルナデッタの”腐敗しない遺体”が存在しています。

彼女は礼拝堂のガラスケースに納められ、祈るようにに両手を胸の位置でくみ、修道服に身を包んでいるのでした。彼女によって泉が発見されてから150年以上も経つ今でも、不治の病や重病に苦しむ人々がここには後を立ちません。バチカンはこの地での病気治癒の奇跡を67事例しか認定していませんが、洞窟の前には病気や障害がなおった証しとして、数え切れないくらいの松葉杖が納められており、いまだ増え続けているといいます。

まとめ

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カトリック教徒ではなくても、ルルドの泉に浸かることや飲むことは可能となっており、聖母マリアを模したボトルにルルドの水を入れて持ち帰ることも可能です。こちらは「何年経っても腐らない水」として有名です。

日本のカトリック教徒の間でもマリア崇拝は盛んで、五島列島の教会がはじめてルルドを模した洞窟をつくりはじめ、全国でルルドの洞窟を見ることができます。

日本のカトリックの東京教区である文京区の東京カテドラル聖マリア大聖堂にも本場ルルドにそっくりな洞窟があります。キリスト教のあれこれを知らずとも「ルルドの泉」という言葉を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。全国にあるルルドの泉には、こんな逸話が存在していたのでした。

この記事を書いた人

世界史好きの英日翻訳者。

愛読書はスペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」。読み漁った文献は国内外のものをあわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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