ヨーロッパの大航海時代に名を馳せた海賊のなかには、なんと女性が存在したのです。それこそが一度は耳にしたことがあるであろう、「アン・ボニー」と「メアリー・リード」。映画版の名探偵コナン「紺碧の棺」にも出てきたことで名を知った人もいるのではないでしょうか。
男ばかりの海賊社会でのしあがった彼女たちの腕は相当なものだったといいます。この記事では、有名なふたりの女海賊をご紹介します。
男性として育てられたふたりの少女
メアリー・リードは複雑な環境のもとで生まれました。彼女の母親は船乗りと結婚し息子が生まれましたが、まもなく夫は航海中に行方不明になってしまったのです。それは母が別の男性との間にメアリーを身ごもった頃のことでありました。そして幼き息子もまもなくして天国へ….
しかし幼き孫が死んだことを知らない亡き夫の家族。彼らはメアリーが生まれたことも知らなかったので、母は彼女に亡くなった異母兄の変わりをさせ、義母から経済的支援を受け続けました。少なくともしばらくの間は、この計画はうまくいき、メアリーは体裁上「男の子」として育てられたのです。
アン・ボニー
アン・ボニーは、アイルランドで弁護士をしていた既婚の男性と、使用人との間に生まれました。彼はアンのことを愛しく思い、自分の家で育てたいとおもったのですが所詮非嫡出子。そして町の誰もが彼には『非嫡出の娘』がいることを知っていました。そのため彼は、アンを男児に仕立てて遠縁の息子として育てたのです。
父親は結局正妻と別れて、アンとその母親とともにアメリカへ移住しプランテーション経営を始めました。しかしやがて年頃の娘になったアンは「農場暮らしにも飽きてきた」というところで、無名の海賊と恋に落ちバハマへ駆け落ちしてしまったのでした。
アン、ジャックとともに海賊の道へ
海賊の黄金時代(1700–1725)には、黒ひげ、バーソロミュー・ロバーツ、チャールズ・ベーンなどの伝説的な海賊が商人たちを脅かしていました。
船に女性が乗るなんてもってのほか、そんな当時の典型的な女性像を覆した女性こそ、大海原での冒険生活を求めたアン・ボニーとメアリー・リードです。バハマへ駆け落ちしたアンでしたが、まもなく酒屋で「キャコラのジャック」に出会います。
そこでちゃっかり駆け落ちした相手から、ジャックへ乗り換えたアン。海賊の世界では迷信めいた独特の掟「女を船にのせてはいけない」というものがありました。そこでアンはジャックと共に海賊になるために、再び男性に扮することになりました。
そこらへんの男性よりよっぽど強い
アンは男性だらけのなかで海賊船になる、というリスキーな状態にあったわけですが、そこらへんの男性よりもよっぽど強かった、といわれています。海賊になる前は、男装して歩兵連隊の兵士を務め、一度海賊になったら、他の海賊との決闘を受け入れ、決して負けることをおそれませんでした。
彼女に手を出そうとした船員もいたそうですが、彼女は彼をボコボコに殴り、船員は治癒するまでに相当な時間がかかった、「彼はかなりの時間、自分のしたことを後悔していた」と当時の航海仲間であったチャールズ・ジョンソン船長が記しています。
ふたりの出会い
銃の扱いに長けていたアン、女であるとは思えないほど海賊では重宝される存在でした。
そんなアンは、ジャックの海賊船が襲撃した船で『かつてみたことないほどの美少年』に出会います。やがてジャックの一味となったアンは、ジャックそっちのけでその人物に惹かれていった…. その「美少年」こそ、男性に扮したメアリー・リードでありました。
ここにふたりは出会うことになったのです。
ふたりのキャリア
黄金時代の海賊船では、『全員男性』というのが普通でありました。
しかしこの女性2人、アンとメアリーは、喧嘩も船頭も、酒も罵ることも男性と同じくらい、いや、もっと優れていたのです。ふたりにつかまったことのある捕虜は「二人ともとても横柄でひどく罵倒するわ罵るわ、船の上では何でもできた」と述べました。
当時『海賊狩り』もはびこっていて、海賊撲滅を掲げる集団も存在していました。海賊ハンターになろうとしていた人々は、ほとんどが元海賊という事情もあり、結局『海賊に逆戻り』ということも多かったのです。アンは最初から惚れた男について海賊行為に身を投じ続けたわけですが、メアリーは、再び海賊行為に戻ったひとりでありました。(それどころか周りに海賊に戻ろうと説得したという… )
海賊船長キャリコジャック
自分を男性だと信じていたアンに、本当の性別を明かしたメアリー。アンとメアリーの両方を知っていたジョンソン船長によれば、知らなかったといえど「(みたことないほどの美少年) メアリー」に惹かれたアンに、ジャックは嫉妬したといいます。
とはいえど、アンの恋人であったジャックは、ふたりが本当の性別を隠蔽するのを手伝いました。1720年8月、ジャックは11人の手下とともにニュー・プロビデンスに停泊していた小型船を強奪しました。この報せを受けた総督は、すぐに「ジャックを追いかけろ」と武装帆船2隻を派遣しました。
そして10月、武装スループがネグリル湾(ジャマイカ東端の港)にてジャックの船は捉えられてしまいます。怖気づいたラカムたち男性乗組員が船倉に逃げ込んだにも拘らず、アンとメアリーは激しく抵抗したのですが、結局ふたりも取り押えられてしましました。
海賊の最後
1720年11月16日、ジャックと手下の男性全員に有罪判決がくだり、処刑されることが決まりました。最後にジャックにあったアンは「あなたが男らしく戦っていれば、犬のように繋がれる(絞首刑にかけられることを指す)ことは無かったろうに」と厳しい言葉を投げたといいます
アンとメアリーの裁判は別に行われ、死刑が宣告されますがふたりは妊娠を主張。『母親を処刑した巻き添えで子供は殺害してはならない』という法律に基づき、刑の執行は出産が済むまで延期されることとなりました。
結局、彼女の刑が執行されることはなく、釈放されたのか否かも不明のままです。
まとめ
メアリーはその後まもなく刑務所で死亡しましたが、アン・ボニーは生き残りました。アンは父の力により免罪となり、1721年にジョセフ・バーリーという男性と結婚、8人の子供をもうけ、1782年にサウスカロライナ州にて82歳で亡くなった、という説が有力です。
しかし彼女と彼女の子供にいったい何が起こったのか、本当のところは誰も知りません。裕福な父親と和解したと言う人もいれば、再婚してポートロイヤルやナッソーに住んでいたと言う人もいます。
アン・ボニーとメアリー・リードの物語は、以来ずっと人々を魅了してきました。日本では名探偵コナン 紺碧の棺 (こんぺきのジョリーロジャー) のなかでも、大々的に取り上げられています。オペラにもなったアンとメアリーの物語。いつの時代にも後世に多大な影響を与える人物はいるもの、実際ふたりが18世紀の海運と商業に及ぼした影響よりも、それ以降大衆文化にはるかに大きな影響を与えたと言っても過言ではないでしょう。
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